メールでのお問合せはこちら

オンラインプレゼンテーション

働き方改革(WLB)

こどもさんかんび

小学生のための工場見学

new-factory

new-factory

インスタグラム

シンコーニュース

立石豊HP

溶射の日

ホワイト企業大賞

工場見学

講演依頼

取材依頼

働き方改革(WLB)

女性活躍推進

福利厚生

日経 X woman

SDGs

スリーエムジャパン㈱様の『お客様導入事例

AKB48

溶射の星

魔法のヒカリ

溶射のシンコーメタリコン 恋するフォーチュンクッキー

KENJA GLOBAL(賢者グローバル) シンコーメタリコン 立石豊

溶射のシンコーメタリコン 「企業イメージPV」

溶射のシンコーメタリコン 「シンコープロレス」

ムービー

滋賀でいちばん大切にしたい会社

黄綬褒章

パオンくん

溶射のシンコーメタリコン
〒520-3222  滋賀県湖南市吉永405
TEL:0748-72-3311/FAX:0748-72-3355

▶年間カレンダー

溶射・表面処理のことなら何でも
ご相談ください。
HVOF溶射・プラズマ溶射・フレーム溶射

お客様相談室 お問い合せ電話番号

0748-72-3312

NCネットワーク

1968年 昭和43年 12 社長立石亨三、社団法人日本学士会より鉄金属酸化防止に関する溶射研究の功績によりアカデミア賞を受賞
1967年 昭和42年 7 資本金を1,000万円に増資
2 新興メタリコン株式会社から株式会社シンコーメタリコンに社名変更
1966年 昭和41年 7 米国METCO社よりガス式(ワイヤー)溶射装置METCO7Eを導入
1964年 昭和39年 5 社長立石亨三渡欧、ベルギーのアーコス社とアーク式溶射法で技術提携
1962年 昭和37年 1 米国METCO社よりガス式(ワイヤー)溶射装置METCO4Eを導入
1961年 昭和36年 3 資本金を800万に増資
1960年 昭和35年 4 橋梁、水門等の防食溶射の需要が増加したため、建設省指定業者登録を受ける
1959年 昭和34年 12 全国自衛隊駐屯地のタンク車に移動式溶射装置をジープに搭載し、亜鉛溶射を施工する
10 関東地区の需要増加に伴ない東京営業所を開設する取締役所長立石善通(1970年閉鎖)
5 資本金を400万に増資
1957年 昭和32年   富士重工業宇都宮工場(栃木県宇都宮市)に常駐作業所を開設(1967年閉鎖)
日本車輌(埼玉県蕨市)に常駐作業所を開設(1967年閉鎖)
1956年 昭和31年   近畿車輛本社工場(東大阪市)に常駐作業所を開設(2007年閉鎖)
1955年 昭和30年 4 米国MOGUL社よりガス式(ワイヤー)溶射装置を導入
米国MOGUL社よりガス式(粉末)溶射装置を導入
1952年 昭和27年 12 新興メタリコン株式会社に改組、資本金100万円(代表者立石亨三)
1950年 昭和25年 6 三菱重工業三原製作所(広島県三原市)に常駐作業所を開設(1970年閉鎖)
4 富士車輌本社工場(大阪府南河内郡)に常駐作業所を開設(滋賀県守山市に移転のため、1965年閉鎖)
1949年 昭和24年 5 日立製作所笠戸工場(山口県下松市)に常駐作業所を開設(1975年閉鎖)
1944年 昭和19年 11 当時の商工大臣よりアルミニウム溶射による熱酸化防止の功績を認められ感謝状を授与される
1942年 昭和17年   第2次世界大戦時、本社工場・三菱重工業京都・名古屋において、航空機部品の熱処理用ケースに熱酸化防止の目的でアルミニウム溶射を量産する
1935年 昭和10年 11 溶射の実験研究に成功をおさめ、合資会社新興メタリコン工業所を設立、溶射加工の受注を開始する(代表者立石亨三)
1933年 昭和8年 10 京都・山科に合名会社メタリコン工作研究所として創業、各種溶射法等の実験研究に着手する(代表者立石亨三)
アカデミア賞 授賞
アカデミア賞の授賞式
ケミカルタンカー 溶射 マフラー アルミニウム溶射
昭和42年(1967)頃、業界の先陣を切って船舶関係の指定業者となる

昭和34年(1959)2月、排気爆音防止装置(マフラー)へのアルミニウム溶射で特許を受ける

水門 亜鉛溶射 水門 亜鉛溶射 特許証
瀬田川洗堰の改装で水門扉体の亜鉛溶射に着手 瀬田川新堰の工事以来、わが国の水門の防食加工に溶射が本格的に採用された 排気爆音防止装置の特許証
肉盛溶射 車輌ブラスト加工 アーク溶射 亜鉛
昭和33年(1958)頃、修繕船のプロペラの取付け部に寸法復元と耐摩耗性の向上を図るため、ユーザーの工場へ出張して肉盛溶射 東海道新幹線の車輌の塗装下地にブラスト加工、開通当初から現在も行っている 洗濯機が普及し始めた頃、亜鉛をアーク溶射
タンク加工 溶線式フレーム溶射機 アーク溶射機
日立製作所のタンク車前で記念写真 昭和26(1951)頃よく使われていた溶線式フレーム溶射機(新興メタリコン製) 昭和30(1955)頃よく使われていた改良型アーク溶射機(新興メタリコン製)
車輌加工 水タンク溶射
昭和25年(1950)頃から、鉄道車両がビルマに輸出された 昭和25年(1950)頃から始まった、水タンク車の溶射作業は鉄道車両メーカーの工場内で行われた
亜鉛溶射 膜厚計
水タンク車の内面全面に亜鉛をフレーム溶射する。作業はタンクの中で行われていたので、重労働であった。 昭和25年(1950)頃、記念写真に収まる立石亨三(左)と立石孝男(右) 昭和25年(1950)頃、改良された自社開発の電磁式膜厚計2号機
溶射のシンコーメタリコン 展示会 アーク溶射 亜鉛
新興メタリコン株式会社当時の展示会ブース ビルマ国鉄の客車輌内外全面に、アーク溶射で亜鉛を溶射した
亜鉛溶射 亜鉛溶射

昭和21年(1946)~22年頃、タンク車内面に亜鉛をフレーム溶射

昭和21年(1946)~26年頃、タンク車内面に亜鉛を全面にフレーム溶射。作業者は防毒マスクで完全武装している
膜厚計 フレーム溶射
昭和18年(1943)頃、自社開発された電磁式膜厚計1号機 戦後まもない頃、ギア-ボックスの内径に、クロム銅をフレーム溶射
シンコーメタリコン 旧社屋 アルミニウム溶射
当時の京都・山科本社工場 ジープの排気管にアルミニウムを溶射、14万5000キロを走行しても酸化発錆は認められなかった
溶射考案者 ショープ博士 アーク溶射機 肉盛溶射
溶射を実用化したショープ博士 昭和10(1935)頃の国産アーク溶射機(新興メタリコン製) 榴弾砲の砲弾に弾帯を形成するため、銅を肉盛溶射中



このページの先頭へ上へ

お問合せ